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| ■プリンス・エドワード・アイランド州 |
| 地 理 |
カナダの大西洋4州のひとつ、プリンス・エドワード・アイランドもまた、面積、人口ともにカナダで最も小さい州である。
縦に224km、横幅6〜64km。プリンス・エドワード・アイランド州は三日月形をした、総面積5,660km2の可愛らしい島の州である。セントローレンス湾にあり、ノバスコシアとニューブランズウィックとはノーザンバーランド海峡で隔てられている。島の一番高いところでも海抜152m。たくさんの湖や川があり、その大半は非常に小さい。
肥沃な土壌と温暖な気候で、混合農業には理想的な所である。州土の半分は耕作の手が入っており、州のニックネーム"庭園州"もなるほどとうなづける。赤土と砂丘、そして800kmも続く浜辺で有名である。
| 歴 史 |
プリンス・エドワード・アイランド州は、ミクマック・インディアンから"アベグウェイト"と呼ばれていた。彼らは、ヨーロッパ人がやってくるざっと2千年も前からここで暮らしてきた。インディアンが呼んだ名前は「平らに横たわる」という意味だが、勝手に「波にゆられる」と訳されている。ミクマック族の先祖は、1万年前に、今はノーザンバーランド海峡の底に沈んでいる低い平原を渡って、この土地に移ってきたことが分かっている。
ヨーロッパ人がこの島を発見したのは、1534年にジャック・カルチエが上陸したときだ。彼はここを「想像できる最も美しい陸地」と呼んだ。カルチエの熱烈な賛美にもかかわらず、島への移住が見られたのはずっと後のことだった。フランス人が1719年にやってくるまで、ここには入植地がなかったのである。30年経っても、人口はやっと700人を数えたに過ぎなかった。
島の人口が急増するのは、英国が1755年にノバスコシアからアカディアンを追い出してからである。1758年、ルイスバーグが英国の手に落ちたときには、島の人口は5,000人に増えていた。
1766年、キャプテン・サミュエル・ホランドが、当時セントジョン島と呼ばれていたこの島の測量地図を作った。それによると、島は67の地区に区分され、くじ引きで英国の地主に分け与えられていた。地主の多くは生涯一度も島を訪れることなどなかった不在地主だったが、いろいろな問題をかもしたのである。ある地主は居住者に土地を絶対に売ろうとしなかったし、別の地主は借地人に法外な売値や借料を要求した。
1769年、セントジョン島は別の植民地になり、1799年には英国のエドワード王子にちなんで現在の名前になった。
1864年、カナダ連邦の発足を決めた会議を州都シャーロットタウンで開催したため、プリンス・エドワード・アイランドは、連邦を育てた揺籃の地として知られている。それにもかかわらず、プリンス・エドワード・アイランドがカナダ自治領に加わるのは、1873年まで待たなければならなかった。
| 人 々 |
州の人口は約13万9,000人(2001年)。このうち62%は地方に住み、人口の8%が農業に従事している。人口3万3,000人のシャーロットタウンは、島で唯一の近代都市である。
州民の約75%はイギリス系(主にスコットランドとアイルランド)で、フランス系は約20%で、フランス語を話すのは5%である。プリンス・エドワード・アイランド州に住む先住民族の人口は約1,000人である。州民は、年令が非常に若い。約38%が25歳以下である。
| 経 済 |
農業、観光、漁業が、州の主な産業である。製造業の多くは、食品加工関連だが、医療、エレクトロニクス、農産など、ハイテク関連の産業も重要度を増している。
プリンス・エドワード・アイランド州の肥沃な赤土は、じゃがいもを作るには理想的な土壌で、農家の最も重要な収入源となっている。
沿岸で獲れる魚介類の王者はなんといってもロブスター。しかしほかにも養殖ムール貝、ニシン、クロマグロなど約30種類が獲れ、マルペック・オイスターは特に有名だ。
800kmの海岸線をもつ浜辺には年間66万5,000人の観光客が訪れ、のんびりしたり、ウォーター・スポーツやクロマグロ釣りを楽しむ。
2009-12-08 更新
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