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| ■政治機構 |
カナダは立憲君主制の下に、連邦制と議会制民主主義、2つの公用語、2つの法体系、民法(ケベック州)とコモンロー(それ以外の州)をもつ国である。1982年、「権利と自由の憲章」がカナダ憲法に明文化された。
カナダの憲法は、以前は英国による「1867年英国領北アメリカ法」であった。1982年までは、修正は英国議会の承認を必要とした。憲法が"カナダに移管"された1982年以後、つまりカナダ人がカナダにおいて憲法の全ての部分を改定する権利を得てからは、この基本法は「1867〜1982年憲法法(Constitution Acts, 1867〜1982)」と呼ばれている。
| 君主制 |
フランス植民地時代、英国統治時代、そして今日の連邦政府も、カナダは君主制をとってきた。1867年以降は、イギリス帝国の中の「自治領」ではあったが、カナダにとっての完全な独立は、他の英領植民地と同様に、1931年の「ウエストミンスター条例」まで待たなければならなかった。
英国女王エリザベス二世は、カナダを含む複数の自治領国家の女王である。女王はカナダの君主として、カナダ総督にその権限を委任している。カナダはこのように立憲君主制であり、女王は君臨すれども統治せず、である。
| 連邦政府 |
カナダの「建国の父」33名は、1867年に連邦制を採用した。連邦国家とは、いくつかの異なった自治体が、共通の目的を持つ共通の政府の下にまとまり、各地域特定のニーズのために個別の地域政府をもつ制度である。
カナダでは連邦議会の責任は、国防、貿易と通商、金融制度、刑法、市民権、漁業、航空、海運、鉄道、通信、原子力である。
一方、州議会が責任を負うのは、教育、財産、公民権、司法行政、医療保健制度、州内の天然資源、社会保障、自治体機関等である。
| 議会制度 |
カナダの議会制度は基本的に英国の制度に似ている。英国議会から引き継いだ伝統を守って、カナダ議会は女王(総督が代理を務める)、上院、下院から成っている。
行政および立法措置はすべて女王の名で行われるが、女王(または総督)は、首相および普通選挙で選ばれた下院に対して責任を負う内閣の助言に基づいて常に行動する。内閣が下院の信任を失うと、首相と閣僚は辞職するか、または首相が総督に選挙を行うように助言する。閣僚は皆、議会に議席を持っている(実際、ほとんど全員が下院議員である)。カナダの議会制度は、行政と立法の権限が分離している米国の制度と異なり、行政と立法が融合している。
内閣は政府の政策を策定する任務を持つ。閣僚のみが予算を調達または使用する議案を提出し、すべての予算案は信任の権限を持つ下院に提出される。実際、行政の権限は、省庁、委員会、審議会、連邦管轄の公社を通して内閣が執行する。
上院には、首相の助言に基づいて総督によって任命される105名の議員がおり、任期は75歳までである。オンタリオ州、ケベック州、西部諸州、大西洋諸州からそれぞれ24名ずつ、ニューファンドランド・ラブラドール州から6名、3つの準州から各1名と、地域ごとに大体均等に議員が選出される。上院は下院と同等の権限を持っているが、重要な例外として、政府は上院ではなく下院に対して責任を負い、予算案は下院にのみ提出される。
下院には、小選挙区から選出される301名の議員がいる。議席は人口の比率によって全国に配分されているが、いくつかの州や準州には最低議席数が確保されている。下院の任期は最高5年である。
総督は、下院で過半数の議席を持つ政党の党首を首相に任命する。下院に過半数を超える議席を持つ政党がない場合、総督は、他の政党から暗黙または明白な支持を得て、下院の信任を得ると思われる党首を任命する。首相は総督に内閣を構成する閣僚および閣外相(現在、首相を含め37名の閣僚がいる)の名前を総督に推薦する。首相が辞職または死去すると、内閣は辞職する。
| 政治的変遷 |
カナダは1867年に自治領となり、1931年の「ウエストミンスター条例」で法的に独立を達成した。1867年の憲法には、大きな欠陥があった。憲法改定に関する規定がなかったのである。改定するにはそのつど英国議会に申し出なければならなかった。
1931年の「ウエストミンスター条例」が施行されるときに、改定条項が憲法に盛り込まれるべきだったが、それは1981年の11月まで待たねばならなかった。いろいろな試みがなされた後、ついに連邦政府と州(ケベックを除く)は憲法改定の手続きについて合意した。これは現在の「1982年憲法法」の一部に含まれている。このときから、カナダ憲法の全ての部分の改定は、カナダだけで行うことが出来るようになった。
| 柔軟な体制 |
カナダの憲法制度は、長い年月をかけて変えられてきた。ときに大幅な改定もあったが、常に平和にかつ漸進的に行われてきた。1980年代と90年代に、大きな改定の試みが2回見られた。ひとつは1987年の「ミーチレイク協定」である。これは、ケベックが提示した5条件を受け入れることによって、ケベックをカナダの憲法制度に呼び戻そうというものであった。5条件とは、最高裁判所判事と上院議員の任命に州が参加すること、憲法改定条項、移民政策に関して州の権限を拡大すること、連邦政府の支出権を若干縮小すること、ケベックが「独自の社会」であることを憲法に明記すること、である。
しかし「ミーチレイク協定」は、全州および連邦のすべての議会の承認を得るに至らず実現しなかった。
1991年から92年にかけて、憲法改定のもうひとつの試みが始まった。これは「シャーロットタウン協定」と呼ばれている。この協定はカナダ首相、10州の州首相、2つの準州長官、4つの先住民族のリーダーに支持されたもので、「ミーチレイク協定」よりも包括的なものだった。しかし「シャーロットタウン協定」は、1992年10月26日に行われた国民投票で否決されてしまった。
その後、1996年2月2日にカナダ連邦議会は、当事者の全会一致の合意なくしては、カナダの五大地域に関わる憲法上の変更を一切行わないことを保証する法案を可決した。同様に、1995年10月30日のケベック州の主権をめぐる州民投票から1カ月と経たないうちに、カナダ連邦議会はケベック州を独自の社会と認める決議案を可決した。
カナダ連邦政府はまた、一部のプログラムとサービスについて州政府の責任を増やす移管作業を進めている。こうした変更が行われている分野の例としては、労働市場での訓練や鉱業・林業開発等がある。
今日でも、議会制度はカナダ国民が選んだ政治形態であり、連邦制とそれによる地方分権は、カナダの地理的現実、民族文化社会の多様性、司法や言語の二重性などを尊重することの出来る政治形態であると言える。
2009-12-08 更新
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